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中央大学法修会研究室 創立70周年記念  

顧問からのメッセージ

法修会顧問を引き継いで  工藤 達朗(顧問)

法修会は今年、創設70周年を迎えました。法修会が誕生するまでの経緯については、法修会のいわば建国の父(Founding Fathers)のお一人でその中心にいた山下裕辞さんが、詳しく書いておられます。それによると、最初、大学の一角をいわば不法占拠して研究室を作り、いったんは撤去せざるを得なかったものの、その熱意が大学側に伝わり、後楽園校舎に場所の提供を受け、正式な研究会として承認されたということです。その後、研究室の場所は――私の記憶する限りですが――(司法試験を目指す多数の研究室が入っていた)水道橋校舎、多摩移転にともない多摩校舎のサークル棟に隣接した建物、多摩校舎の炎の塔、そして法学部の都心移転とともに茗荷谷校舎へと変わってきましたが、法修会はとぎれることなく今日まで続いてきました。

 さて、私が角田邦重先生の後を継いで法修会の顧問に就任したのは、2009年のことでした。ただ、角田先生が2011年にご退職になるまでは一緒に大総会に出席していたので、その間は(顧問ではなく)顧問見習いということであったかもしれません。裁判実務に興味があるわけでもなく、法修会とは何の接点もない私に顧問就任の依頼が来たのは、角田先生のお話では、現副会長の宮崎敦彦さんの強い推薦があったからとのことでした。宮崎さんは、大学の同期で、クラスも一緒でしたので、むげに断るわけにもいきません。顧問の仕事は何かと聞くと、年に一度の大総会に出席してくれるだけでよい、とのことでしたので、適任者が見つかるまで、という条件でお引き受けしました。大総会では、研究室の室員の皆さんはもちろん、現副会長の大森八十香さん、佐藤優さんほか、OBOGの方々のお話しをうかがうことができました。現OBOG幹事の西中山竜太郎さんは、私が顧問となって間もない頃の学生幹事長でした。ただ、新型コロナウイルスの感染拡大のため大総会が開催されず、また関西の学会と日が重なって欠席したこともありました。

 そうこうしているうちに時が過ぎて、気がつけば定年まであと2年というところに来てしまいました。定年になる前に後任をお願いする人を探さなければなりません。そのとき真っ先に頭に浮かんだのが、川田知子先生でした。川田先生は、角田先生の指導を受けたお弟子さんで、労働法を専攻しておられます。川田先生に顧問就任をご快諾いただいたときは、肩の荷が下りた思いでした。法修会は、中村武先生、横井芳弘先生、角田先生と、労働法の先生方が顧問を務めてこられました。私だけが憲法でしたので、いわば傍流から本流へ復帰したかたちです。

 また、私は顧問とはいえ、法学部から法科大学院に移っておりましたので、法修会研究室は多摩校舎、私は市ヶ谷校舎と場所が遠く離れており、室員の皆さんと日常的に接触する機会がありませんでした。そのような点からも、できれば法学部の先生に引き受けてもらいたいという気持ちがありました。それがかなったので、とてもうれしく感じています。

  今後、法修会研究室がいっそう発展し、創立80周年、90周年、100周年を迎えて盛大にお祝いされることを心から願っています。

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